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マンスリーインフォメーション 《第39回》


私の修行時代

 今回のM.I.は、私の修行時代、証券マンをやっていた頃の事についてまとめてみたいと思います。私は以前のM.I.にもお話したように、30歳の新卒条件で証券会社に入社しました。慶応大学の千種教授の本を読んで、ぜひ経済の中心であり、経済の体温計と言われる証券営業に携わってみたいと強く思い、証券会社の人事部に直接手紙を送り、面接をして頂いて運良く採用されました。

 入社して、営業部に配属されました。1年後新設の支店勤務となり、支店のカギを預かり5年間朝7時に出社して、支店を開けました。本当ならば朝の通勤の電車の中で日経新聞は読まないとならないのですが、最初の3年は朝起きたばかりで、頭が回らず、通勤の電車では、音楽を聞いていました。4年目を過ぎたあたりから、通勤の電車の中で日経新聞が読めるようになりました。支店に着くとカギを開けて、まず日経金融新聞を読みました。今で言う日経ヴェリタスの前身の新聞です。日経金融は、一般投資家は取っていない方が多いのと、機関投資家の担当者は皆目を通すので、大きな商いを目指すなら読んでおいたほうが良いのではと思い、毎日読みました。飛び込み営業でお客様になって頂いた機関投資家の財務担当者は、非常に厳しく日経金融は読んでいて当たり前、場況を通す電話を3分以上長々と話すと、切られてしまうので、要点を前もってまとめておいて話しました。

 9時になって、寄付き30分を過ぎると、飛び込み営業に出かけました。バブルが崩壊した後だったので、新規開拓は非常に苦労しました。1日40軒は自分に課したノルマで、名刺を毎日40枚スーツのポケットに入れて外交しました。お客様にはならなかったのですが、1部上場企業の財務部長と運良く飛び込みで名刺交換ができ、毎月訪問していました。初めてお会いさせて頂いた時は、1部上場企業の財務部長なので四季報に名前が載っている方で、話す時非常に緊張してのどがヒリヒリしました。外交を続けて見込みができるようになると、毎週一回訪問して「接近、展開、連続」の営業を行いました。また帰宅の途中で駅を降り、高額納税者の家にポスティングを行いました。帰宅の途中飛び込みをして会社の方へ行ってくれと言われて、翌日会社を訪問して、総務部長に昨晩社長の家を訪問してこちらに行けと言われたので来たと言うと、「君うちに来ない?」と声を掛けられた事もありました。

 相場観の方は、今のようにテクニカルの情報が少なく、独学でテクニカルの本を読んで研究していました。D証券だった合賽先生や外資系のS証券の坪内さんのテクニカル分析の資料は非常に有効で、今の時代の基礎となっています。また営業の方は、支店でダイヤモンド、東洋経済を取っており、自腹の日経ビジネスと合わせてお客様と話す事ができたら、1時間は話せるだけの、情報を常に準備していました。更に会社四季報が出た時には、約10日かけて会社四季報全てのページに目を通しました。

 支店長は非常に厳しく、焼け火箸のような方でしたが、仕事に命を賭けている気迫が伝わってきて、毎日非常に張りのある職場でした。私は学校の先生、空手道場の師範とそれまでは、何かに命賭けの男と会った事がなかったので、男の生き様をすぐ傍で見る事ができ、非常に有益な体験となりました。

 仕事が終わると、大きい本屋に入って、ビジネス書を毎週1冊買って読みました。支店勤務のころ、中谷彰宏先生の本と出会い、一流ホテルのサービスを証券営業に取り入れられないかと日々営業のやり方を工夫しました。また日曜日、ネクタイをして鎌倉までお詫びに行ったこともあります。お客様の入院中、ベッドの上で小切手を書いてもらった事もあります。

お客様に「君は今までの営業マンとは違うな」と言われる事が非常に嬉しかったです。