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マンスリーインフォメーション 《第63回》


証券マン時代のお客様

 今月のM.Iは私の証券マン時代に出会えたお客様の事についてお話してみたいと思います。情報やお金は、待っていてもやって来ないですし、人間を仲介として情報やお金は集まって来ます。ですから人間嫌いがビジネスや投資でサクセスできるはずがありません。証券営業は、努力と運さえ良ければ物凄いビッグな方と取引きして頂ける可能性があります。

 私の証券マンとしての最初のお客様は、新木場の材木工場の社長さんでした。今から25年前新木場には300軒くらい材木問屋が並んでいて、毎日100部チラシを配って歩きました。チラシを撒き始めて1か月後電話があり、中国ファンドの事について聞きたいと言ってきました。翌日訪問して話を聞くと、中国ファンド1200万円買い付けて下さると言う事になりました。私の証券マンの初商いだったのですが、金額が大きく我が耳を疑いました。その場で口座を作って手続きをした後工場を出て、すぐに公衆電話に向かいました。上司に報告を慌ててしましたが、電話の向こうで歓声が上がっているのが受話器越しに聞こえました。飛び込みで新規口座が取れたので、その後新木場中の材木問屋を飛び込みで周りましたが結局3か月周って3軒新規口座が取れました。この最初の飛び込みのアクトで運よく新規口座が取れたので、その後はより一層飛び込み営業を行うようになりました。

 その後新宿支店に移っても、引き継ぎのお客様がほとんどいないため、新規開拓、飛び込み営業は毎日行いました。新宿支店に移って3か月後テレコールで話をさせて頂いたお客様の事務所を訪問しているうちに、「私はお金がないが、この男のところに行ってみたら」と言われ、外資系のリースの社長さんを紹介してくれました。千代田区の一番町にオフィスがあり、とても豪華な事務所でした。外資系のリース会社の社長さんは、米国の永住権も取っている方で、資金的にも非常に余裕があり大きな取引きをさせて頂きました。取引きを重ねるようになって、仲も良くなり神宮外苑のゴルフ打ち放し場でゴルフの指導も受けました。90年の暮れ頃ですが、その時初めて携帯電話を見ました。その社長は当時出始めの携帯電話を持って、打ち放しに来ました。弁当箱くらいの大きさの携帯電話でした。

 次の年、幸運にも上場企業と飛び込みで取引きできる事になりました。上場企業の担当者は、経理課長。その後その方は出世され今、会社四季報に名前が載っています。初めは現先だけだったのですが、私が粘りに粘って特金の商いをもらいました。幹事証券会社のバインドがきつい中、特金の商いをもらった事は大きな自信となりました。その担当者の方には、大変お世話になり、夜の新宿の街に良く連れて行って頂きました。

 そして94年に本店に戻り、部長のお客様を引き継がせて頂きました。赤坂の歴史のある店舗の社長で、まず毎朝7時半に電話があります。NYの場況を用意しておき通します。その時信用の担保枠を聞かれるので、それまでに手計算で信用担保計算をしておきます。PCで担保枠は出るのですが、自分の手で計算しないと、説明できないので毎朝7時に出社して、担保計算を毎日行っていました。この社長さんは非常に性格がきつく、電話でやり取りする時に、こちらも気合を入れて話さないと、気負けしてしまうので、電話が終わると疲れるぐらいでした。追証で年末5日間連続、年始3日間連続事務所を訪問した事もありました。

 最後に大手生命保険会社の方は、私の事を気に入って下さり国会議員の方を紹介して頂きました。その国会議員の方の選挙を手伝った後、選挙後の慰労会に幸運にも呼んで頂きました。学生時代通っていた空手道場の館長が国会議員でしたが、ビジネスマンになってからは、そのようなビッグな方と話ができるなんて思ってもいなかったので、非常に緊張しました。結局、どんなにビッグな方でも、同じ人間なんだと思えるようになり気おくれしなくなったのも、その当時くらいからです。

 今はITの発達で、人間臭い営業はあまり効率的でなく、重点も置かれなくなってきましたが、私の主宰する「あゆみマネジメント」はIT化の逆を行く、アナログ型の運営方針です。もし、このHPを読まれて興味を持った方は、連絡下されば時間のつく限りご訪問させて頂き、皆様の投資のお手伝いをさせて頂きたいと思っています。